LOGIN目が覚める。天井が白い。薬品の匂いがする……。辺りを見渡す。……病室だ。
「姉さん……」
声の方を見ると、桃李が私の手を握っていた。
「桃李……私……?」
そう聞くと桃李が言う。
「倒れたんだ」
そう言われてハッとする。
「赤ちゃんは……?」
そう聞くと桃李が微笑む。
「無事だよ、奇跡的にね」
桃李はそう言いながら私の頭を撫でる。
「実はすごく危ない状態だったんだ。でも奇跡的に乗り越えた」
胸が苦しくなる。良かった……。そう思いながら私は自身のお腹を撫でる。涙が溢れて来る。お腹の子が無事だと分かった瞬間、私は自分の中にあった憎悪や絶望、恐怖がふわっと消えて行くのを感じる。そして自分の中に残ったのはただただ、この子が愛おしいという感情だけだった。
「もう、大丈夫なのよね……?」
そう聞くと桃李が力強く頷く。
「あぁ、大丈夫だよ」
そう答えた桃李を見て、私は確信する。桃李は腕の良い医師だ。その桃李がそう言うのだから大丈夫なのだろう。病室には桃李以外には人が居なかった。私が倒れても龍月はもう付き添ってはくれないのだ。そう思うと悲しみが込み上げる。
「何で篠江さんに姉さんの妊娠を言わないんだよ」
桃李はそう言いながら怒りのあまりか、涙ぐんでいる。
「アイツは姉さんに借りがあるじゃないか」
借り……か。確かにそうだ。でもそれは今更掘り返す事じゃないし、今、重要なのはそれじゃない。
「もう良いのよ、桃李」
私は諦めを受け入れる。
「龍月は私を裏切って、華凜と寝たの。私の義理の妹である華凜と関係を持っている。あれだけ私が華凜には気を付けて、華凜に騙されないでと言ったのに、龍月は私よりも華凜の事を信じた……それに」
そう言って私は桃李を見る。
「私が倒れても龍月は来なかったでしょう?」
そう聞く私に桃李が苦笑いする。
「でも本当にそれで良いのか?姉さんは何年も篠江さんを愛してたじゃないか。待ち望んだ子供も居るって言うのに……」
そんな桃李に私は微笑む。桃李が思い付いたように言う。
「あの手紙の主!そうだよ、その運転手を連れて来れば良いんじゃないか!」
私は既に自分の手の中にある諦めの感情を転がす。
「もう良いのよ。手紙の主が誰なのか、真実は何なのか……もうそんな事はどうでも良いの」
天井を見つめる。
「龍月は選択したの。私じゃなく、華凜を選んだ。だから私も自分の道を選ぶわ」
あの混乱の中、私は確実に華凜に背中を押されたのだ。
「華凜は私を押した。それで私は倒れてしまったけれど、お腹の中の子は無事だった。これは桃李が言った通り、奇跡よ」
そう言いながら私は自分のお腹を撫でる。
「この子は私に生きたいと言っている……だから私はこの子を守るわ。自分のお腹に宿った命を利用して龍月を繋ぎ留めようとする華凜と私は違うもの」
涙が零れる。
「私はそんな真似、絶対にしない」
桃李が私の傍で鼻をすする。
「姉さんは強いな、俺たちの母さんみたいだ」
そう言う桃李に微笑む。
「もう疲れちゃったの、確かに私は龍月を愛してたわ……でもこんな惨めな結婚生活にしがみつくのはもう終わり」
桃李を見る。
「妊娠した事は言わないで。華凜のようにはなりたくないの」
桃李が頷く。
「分かった、言わない」
桃李は私に微笑んで言う。
「姉さんが決めた道だ、俺は従うよ。それに」
そう言って桃李が軽くウィンクする。
「あんな酷い家とは縁を切ろう、母さんの残してくれた家に戻るんだ」
家を離れている篠江家のご両親に何も言えずに去るのは気が引けたけれど、仕方ない。
「姉さんがあの家を出れば、あのクソ男とも、クソ女とも縁が切れる」
そう言う桃李に笑う。
「酷い言い方ね」
桃李は胸を張って言う。
「だってそうじゃないか、ずっと一途に思ってくれる、姉さんのような女性を振って、あんな悪魔みたいな女の方が良いっていう奴なんて、クソだろう?」
突然、病室の扉が開いた。入って来たのは桃李の上司に当たる人……。その人は私と桃李を見て、言う。
「峰月桃李くん、君は患者様への暴行により、解雇だそうだ」
そう言われて桃李は笑う。
「解雇?」
そして嘲笑うように言う。
「こっちから辞めてやるさ、こんな病院」
そう言って立ち上がった桃李は首から掛かっていた職員証を床に叩きつける。桃李は私を見て微笑み、言う。
「姉さん、荷物をまとめて来るから、待っていて」
そして桃李は上司を睨み付けて言う。
「俺が戻って来るまで、姉さんに手出しはするなよ」
上司の人は桃李のそんな様子に気圧されて後退りながらも、叩きつけられた職員証を拾う。
「わ、私はただ、上からの命令を伝えに来ただけだ」
そう言って慌てて出て行く。桃李は私を見て微笑み、言う。
「ゆっくり休んでいて、荷物をまとめたらすぐに戻って来るから」
◇◇◇
ベッドに横になりウトウトする。夢うつつに見たのは幼い頃の事……。龍月と出会った幼い頃……
「さぁ、さぁ!私の可愛い孫たち!!こっちへいらっしゃい!」お母様がそう言いながら子供たちを連れて、ロッジの中へ入って行く。「外は寒くなるぞ。中に入って温まって」お父様はそう言って駆け寄った桜丞を抱き上げる。お母様は苺果を抱き上げ、私と龍月にウィンクする。今日は家族で別荘へ来ていた。龍月の療養という名目で。「傷はもう良いの?」そう聞くと龍月が私を抱き寄せる。「確かめてみるかい?」そう言われて私は笑う。「ダメよ、療養しに来たんでしょ?」空には星々が輝き、木々は風に揺れている。「杏」呼ばれて龍月を見る。「なぁに?」そう聞くと龍月が一歩下がり、私の前に片膝を付く。手には小さな箱を持って。「俺は今までたくさんの過ちを犯して来た。だからこそ、誓うよ。もう杏を離さない。離したくない」小さな箱が開けられる。「もう一度やり直そう、最初から。俺の全身全霊をかけて、杏を愛すると誓う」小さな箱の中には大きく輝くダイヤモンドをたたえた指輪が入っている。「やり直してくれるかい?」そう聞かれて私は頷く。「えぇ、良いわ」龍月はその指輪を手に取り、私の左手薬指にその指輪を収める。◇◇◇三か月後。私と龍月の結婚式の日。「こんなに急いで結婚式をしなくても」そう不満そうに言うのは桃李だ。私は笑いながらそんな桃李に言う。「仕方ないじゃない。お母様が急かすんだもの」桃李は私に微笑み、聞く。「で、いつ言うの?」そう聞かれて私は笑う。「さぁ?」そう返事をした時。「何か隠し事かい?」そう言いながら部屋に入って来たのは龍月だ。龍月の着ている真っ白なタキシードは国宝級イ
お母様が私の頬に触れる。「あなたに似せて、自分の顔を整形したのよ」そうか、だから……龍月が私に離婚を言い出した時、龍月は私が華凜に似ていると、そう言ったんだ……。「ごめんなさいね、私たちもつい最近、知ったの」お母様が私の頬を撫でる。「華凜が私たちを狙って事故を起こさせたのも、自分を悲劇のヒロインに仕立てて、あなたを悪者に仕立てようとした華凜の誘拐も、全ては華凜が仕組んだ事なのよ。その時の運転手はもう捕まえたわ」私と龍月が離婚する切欠になったあの手紙の主である運転手がもう捕まった……。「華凜が海外へ療養に行く時に、一緒に海外へ逃げたのね。華凜は二度と国内へ帰って来るなと念を押して、その男に大金を渡していたの。そして海外で華凜は色んな男と派手に遊んでいたと聞いているわ」龍月の熱病、一時的な記憶喪失、華凜の海外脱出と、整形……。私の知らないところで色々な事が起きていた。「あなたを傷付けた事は謝っても許して貰えるとは思えないわ。そのせいであなたは龍月に妊娠した事を言い出せずに、一人で子供たちを産んで、育てていたんだもの」お母様が眠っている龍月を見る。「でもね、あなたが行方をくらまして、どこへ行ったか分からないのに、あなたの妊娠を知って、龍月は本当にどん底に落ちたの……あの当時の龍月は本当に狂ってしまったかと思うくらいだったのよ」お母様は私に向き合い、言う。「本当にバカな子、そんな子でも私の子なの……そして私は杏、あなただけが龍月の事を癒せると思っている……親ばかでごめんさないね。でも無理強いはしないわ、あなたが嫌なら龍月には諦めさせる」そう言われて私は微笑む。「私もバカなんです。あんな事があったのに、私はまだ龍月を愛している……子育てが忙しいとか、仕事が忙しいとか、そんな理由を付けて、私はずっと自分を誤魔化して来
あれから3日。病院に運ばれた龍月は手術を受けた。手術を成功したものの、龍月は目を覚まさなかった。私は必死に龍月に呼び掛けた。けれど龍月はまだ眠っている。「杏」呼ばれて見ると、お母様が居た。「あなた、ずっと付き添っているそうね。休まないと杏が倒れてしまうわ」お母様はそう言って微笑む。私は龍月を見る。「大丈夫です。傍に居たいんです」そう言いながら龍月の手を握る。龍月が華凜に刺されて倒れ込んだ時、私は龍月に聞いた。何故、私を庇うのか?と。龍月は倒れ込みながら言ったのだ。「杏を守る、今まで出来なかった事をやらなければ……」私は眠っている龍月を見る。「バカな人……」そう言って微笑む。お母様が私の隣に座る。「杏、聞いて欲しい事があるの」私はお母様を見る。「何でしょうか」お母様は悲しそうな顔で言う。「龍月が何故、華凜に固執したと思う?」そう聞かれて私は言う。「華凜を愛していたからでは?」私がそう言うと、お母様が言う。「華凜はね、龍月の心の中に居るのが自分じゃないって気付いていたのよ」龍月の心の中に居るのが華凜じゃない……。「それってどういう事ですか?」お母様は少し笑って言う。「大昔、龍月が誘拐されかけた時、それを救ったのがあなただったのは覚えているわね?」そう聞かれて私は頷く。「えぇ、覚えています」お母様は少し笑い、言う。「あの時、龍月があなたとずっと一緒に居るんだ、あなたと結婚するんだって言い張ったのは知っているでしょう?」そう言われて思い出す。泣き虫だった男の子の
その時だった。一瞬にしてバタバタと雪崩れ込むように四方八方から人が駆け込んで来る。気付けばあっという間にその場がその人たちによって制圧される。私は海原有起哉から解放され、振り返る。子供たちを拘束していた男たちも入って来た黒服の男たちに制圧されていた。「桜丞!苺果!」そう言って私は子供たちに駆け寄る。子供たちは口を塞がれていたテープをはがされると、駆け出し、私に抱き着いて来る。「良かった……」そう言いながら桃李を見る。桃李もその拘束を解かれている。「篠江龍月!!!」黒服の男たちに捕まった海原有起哉が叫ぶ。龍月は私と子供たちの所まで来ると、聞く。「大丈夫か?怪我は無いか?」そう聞かれ龍月を見上げる。一人の男性が龍月に近付き、言う。「制圧完了です」龍月は頷いて言う。「あぁ、ご苦労」そう言って桃李に振り返り、言う。「彼を病院へ」黒服の男たちにそう指示して、龍月がしゃがみ込む。「おじさんだ!イケメンのおじさん!」苺果がそう言って龍月に抱き着く。龍月は目を細め、苺果をその腕に抱く。「おじさんが助けてくれたの?」今度は私に抱き着いたまま桜丞がそう聞く。「そうだよ、この人が助けてくれたの……この人はあなたたちのパパよ……」私がそう言うと、子供たちは驚き、そして言う。「パパなの?パパはヒーローなの?」そう聞かれ私は涙ぐみながら頷く。「そうよ、パパはヒーローよ」龍月は苺果と桜丞の頭を交互に撫でて微笑む。「龍月……!」そう叫ぶ声が聞こえて、その声の方を向く。華凜が黒服の男に拘束されながら涙を流している。「どうして杏なの……私の事を愛してるって言ったじゃない!杏の事を憎んでいたじゃない!」龍月は苺果を下ろし
頭を殴られたような衝撃が走る。「俺は君だけが欲しいんだ、子供も弟もこのまま解放したら、警察に駆け込むだろう?」桃李を見る。桃李が首を振っている。「大丈夫よ、警察には行かないわ。私が行かせない」海原有起哉はニヤッと笑い言う。「子供には興味は無いんだよ、それにこのまま解放しても、厄介なだけだろう?」「まだかかりそうなの?」そう言う声がして振り向くと、そこには華凜が居た。「華凜……」華凜はゆっくりと歩いて来ながら言う。「結婚、おめでとう、姉さん」そう言われてやっぱり、華凜の計画なのだと分かる。「華凜、あなた、何がしたいの」そう言うと華凜が笑う。「言ったでしょう?目障りなのよ。龍月は私のもの、篠江家の夫人の座も私のものなの。私は龍月と結婚して、篠江夫人になるのよ」海原有起哉に拘束されて身動きが取れない私に華凜は笑う。「アンタが他の男と結婚すれば、龍月だってアンタに手を出せなくなる。それが篠江夫妻であってもね。アンタが自分から篠江家と縁を切ってくれさえすれば、誰も傷付かずに済むのよ」そして背後に居る子供たちを見ながら言う。「それに、これを機に子供たちが居なくなってくれれば、龍月だって諦めがつくでしょう?」そこまで華凜が言った時、私を拘束していた海原有起哉が言う。「ちょっと待ってくれ、篠江龍月と峰月杏の子供に何の関係があるって言うんだ?」華凜は海原有起哉を見ながら言う。「そんな事はアンタには関係無いの。アンタはこのまま、杏の弟も子供も、消せば良いのよ」海原有起哉の腕から力が抜けかける。「アンタが欲しいのは峰月杏だけでしょう?私は峰月杏さえ、龍月に手を出せなくなればそれで良いけど、この事を知っている人間を生かしておけば、アンタは刑務所行きよ?」華凜がそう言うと海原有起哉が呟く。「峰月杏が産んだ子供は篠江龍月の子
もし仮に華凜が関わっているとしたら、どうだろう?華凜は杏の行方を知らなかったが、俺が東山市に来てすぐに華凜も東山市に来た。そして昨日、俺たちの前に姿を現し、俺の両親から邪険に扱われていた。南陽市に戻るように言ったが、納得している様子では無かった。杏と俺が離婚して、華凜は意気揚々と篠江家に入ろうとしたが、俺の両親がそれを許さなかった。あの夜、手紙を寄越した運転手の行方が分からなかった事で、杏への疑いを両親は確信出来なかったからだと思っていたが。門田が言っていた。杏の母親が亡くなった事故の件も、俺の両親の事故の件も、その後に起きた華凜の誘拐の件も、全てに華凜が関わっているとしたら、筋道が通ってしまうのだ。全ては俺と杏が結婚する為に華凜と別れさせられた事に繋がっている。◇◇◇車が停まる。私は車のドアを開ける。私の腕を龍月が掴む。「杏、やっぱり一人では」そう言い掛けた龍月の手に触れる。「大丈夫、相手は一人で来いと言っているの。一人で行かなければ、3人とも危ないわ」私は車の外へ出る。少し離れた場所に車を停めて貰った。指定されたのは東山市の外れにある廃工場だ。龍月は人員を配置すると言っていた。龍月ならそれぐらいはやるだろう。コツコツと足音が響く。廃工場の中に入って行く。周りを見回しながら進む。目の前が開けて、椅子に縛り付けられている桃李とその後ろに縛られて寝転がらされている二人の子供を見つける。桜丞と苺果だ。「桃李!」桃李は椅子に縛り付けられていて、更には口も塞がれている。「来たか」そういう声がして現れた男。全く知らない人だ。「峰月杏だな?」そう聞かれて私は頷く。「そうよ、私が峰月杏よ。一人で来たわ。桃李と子供たちを解放して」その男が手を上げる。すると何人かの男たちが現れ、子供たちと桃李をそれぞれ近付く。最初に現れた男は桃李